スポーツ医学総合センターのスタッフは、医師であると同時に、一人のスポーツ経験者でもあります。
スポーツをするなかで避けられないもの……それは「怪我」「病気」。
連載「ドクターのスポーツ傷病記録」では、スタッフが実際に体験した傷病について、スポーツの思い出と共に語っていただきます。
今回はスポーツ医学総合センター助教・木村豪志先生に、学生時代のバスケ部でのご経験と医師としての思いを伺いました。
木村豪志(きむら・たけし)先生
慶應義塾大学スポーツ医学総合センター 助教
慶應義塾大学院在学中 大学院研究テーマ:成長期のスポーツ傷害
テコンドー協会医科学委員
2006年 鹿児島大学歯学部卒業
2013年 鹿児島大学医学部卒業
日本歯科医師免許、日本整形外科学会認定専門医、IOC Diploma in Sports Medicine(国際オリンピック委員会認定ドクター)、日本整形外科学会認定スポーツ医・運動器リハビリテーション医、日本医師会認定産業医、日本スポーツ協会公認スポーツドクター、日本医師会認定健康スポーツ医
専門:小児スポーツ医学、高齢者スポーツ医学
(取材・文:有田一花)
――まずは、これまでのスポーツ経験をお聞かせください。
小学校まではサッカーと水泳をしていました。小学校4年生の時にアメリカに行ったのですが、そこでバスケットボールに出会いました。滞在していたロサンゼルスにはバスケットボールの強豪チームがあって、魅せられたというんでしょうか。裏庭にあるようなバスケットゴールでシューティング練習をしたりしていました。
中学で日本に戻った時にバスケ部に入ることも考えましたが、元々参加していたサッカー部に友人が多かったこともあり、サッカーをやることにしました。今でも当時のサッカー部の友人とは時々会っています。
高校に入った時に、やっぱりバスケをしてみたいと思い、バスケ部に入りました。大学は、最初は歯学部に行って、そのあと医学部に入り直しているのですが、その時もバスケ部でした。
――では、一番思い入れのあるスポーツはバスケでしょうか。
スポーツは何でも好きです。バスケには見るよりもやる方が好きですね。やればやるほど上手くなれる感覚がありました。単純に自分が歯・医学部レベルでは身長が高かったからというのもあるかもしれませんが(笑)
サッカーは好きだけど、あまり上手くなりませんでしたね。でもメンバーがすごく良かったです。上手くはならなかったのですが、その代わりに朝練は誰よりも真面目にやっていたつもりです。
野球も好きですが、自分でやるのはデッドボールが怖くて、ちょっと……(笑) アメリカにいたとき、周りの子の体が大きかったので、ボールが当たると痛くて痛くて。自分には合わないなと(笑)
――スポーツの経験の中で、特に思い出深い場面はありますか?
大会ですね。勝ったときのことも、負けたときのことも、鮮明に覚えています。練習や戦略が大会の結果に反映されやすくて、楽しかったですね。ダメだったときは何か原因があるし、勝てたときも、やはり何かが良かったからなんですよ。
歯学部時代、先輩が卒業したらガクッと弱くなって、勝てなくなったんです。それでも自分たちで一生懸命力をつけて、最後に盛り返していけた。そういう流れが楽しいんですよね。
でも医学部の時は、自分が部を引退したあと優勝したんですよ!(笑) 自分の方針が良くなかったかもと思いました(笑)
練習に限らず、人間関係や、さまざまなことが噴出するのが大会です。だから、選手の試合後のインタビューが好きです。勝ったかどうかという結果よりも、そこに至るまでの過程が好き。
自分のことで言えば、高校の最後で、いろいろなことが重なってバスケ部をやめてしまったのですが、それを今でも後悔していますね。
――後悔というのは、どういった点についてでしょうか。
受験など様々な理由が重なって部活をやめたのですが、できることなら、高校に入学したときに体育館を見て「ああ、バスケがしたい!」と思ったその気持ちのまま卒業したかったです。他の部員も勉強や受験などでどんどん部活をやめてしまう中、自分もその一人になってしまったことにはずっと悔いがあります。もちろんその時は最善の選択だと思っていましたが、後から考えると、もうちょっと頑張れたんじゃないかと思ってしまいますね。
歯学部を出た後に改めて医学部に挑戦したのも、そのような後悔の念があったからかもしれません。「やりたい」と思った気持ちを貫きたかった。初志貫徹は自分の人生のテーマになりましたね。やめるのは一瞬だけど、続けるのは難しいから、難しい方を選んで努力したいと思っています。
結局、歯学部でも医学部でもバスケは続けていますし、今は整形外科のバスケットボール大会に出ていますよ。さすがにそろそろ引退時かなという気もするんですが(笑)
――スポーツに取り組む中で、怪我や病気の経験はありますか?
怪我は絶えないですね!
小学校5年のときに左膝をけがしたのですが、特に診断名を伝えてもらわなかったんですよね。あれは何だったんだろうと今でも思います。内側側副靭帯の付着部の炎症かな……。とにかく休むように言われて、六か月ぐらいスポーツを休みました。
小学校5年生ってゴールデンエイジなんですよ。休むまでは運動能力に自信があったんですが、その休止期間で下がってしまったなと。
医学部の時は、右膝に痛みが出ました。それもはっきりと診断名を教えてもらったわけではないんですよね。痛みがある中で、自分でも調べて色々なことを試してみましたが、結局原因はわかりませんでした。
――その時のご経験が、今の医師としての在り方に関わっているのでしょうか。
自分が怪我をして不安だったことが、スポーツ医学に携わるきっかけになりましたね。
怪我をしないように予防することや、適切な治療・リハビリの大切さを感じた経験でした。
もし今、当時の自分を診るなら、診断名を確定してあげたいなと思いますし、小学校の時の怪我については、休み方も指導してあげられたらと思います。
また、長い間スポーツをしてきたので、アスリートには調子の良い時と悪い時があるということもよくわかります。自分のことで言えば、歯学部の時はやればやるだけ上手くなったけれど、医学部の時は怪我との戦いでした。経験してみると、やはり怪我がアスリート人生を左右するものだと実感します。
ちゃんと診断してあげられる、患者の不安に寄り添うような医師でありたいなと思います。
――ありがとうございました!