スポーツ医学総合センターのスタッフは、医師であると同時に、一人のスポーツ経験者でもあります。
スポーツをするなかで避けられないもの……それは「怪我」「病気」。
連載「ドクターのスポーツ傷病記録」では、スタッフが実際に体験した傷病について、スポーツの思い出と共に語っていただきます。
今回はスポーツ医学総合センター助教・世良泰先生に、学生時代のバスケットボールの経験を伺いました。
世良泰(せら・やすし)先生
慶應義塾大学医学部スポーツ医学総合センター助教
TWOLAPS TRACK CLUB チームドクター、日本陸上競技連盟 医事委員会委員
2012年慶應義塾大学医学部卒業
日本整形外科学会専門医、IOC Diploma in Sports Medicine(国際オリンピック委員会認定ドクター)、日本内科学会認定内科医、日本スポーツ協会認定スポーツドクター、日本障がい者スポーツ医、日本整形外科学会認定スポーツ医、日本医師会認定健康スポーツ医、日本医師会認定産業医、Performance Enhancement Specialist (NASM)
(取材・文:有田一花)
――まずは、これまでのスポーツ経験について、教えてください。
小4からバスケットボールを始めました。小学校6年生になって、選抜のテストに通ったらバスケを続ける、通らなかったらやめるとなって、選抜に落ちてしまったんです。それで一度バスケをやめて、受験に専念しました。さらに、中学校入学の頃になると、オスグッド・シュラッター病という、膝の脛骨粗面の成長障害があって、バスケをすると膝がとにかく痛みました。
それで、野球ならそんなに動かないでできるかもと思い、野球部に入りました。でも野球は屋外スポーツですよね。夏休みの合宿で、出入り口に近い1年生の布団が砂まみれだったんです(笑) それまでバスケしかしていなかったので、ちょっと砂まみれは無理だなと(笑) それで、合宿が終わって退部して、バスケ部に入り直しました。野球部には3ヶ月しか在籍していませんでした。それに、そもそもバスケよりも野球の方が膝に負担がかからないのではないかと思って野球部に入部しましたが、野球部も思ったより走るんですよ。正直あまり変わらないな?と気づきました(笑) 同じ痛いなら、バスケをしようと。そのまま高校、大学でもバスケ部に入り、大学二年生からは競走部も兼部していました。
でも中学の時はオスグッド病のために膝が痛くて、結局あまり部活に出られませんでした。
改善するためには、基本的にはストレッチを行っていくのですが、当時はあまり知識がなく、ただ休むだけになってしまっていました。知識があれば、もう少しどうにかできていたんじゃないかと思います。
その時オスグッド病を診て下さったのが大谷先生(注:スポーツ医学総合センター兼担教授 大谷俊郎先生)で、「医学部バスケで待っているから」と言っていただきました。その時は医学部に入ろうと決めてはいなかったんですが、結果的にこうして再会する事になりました。
ちなみに、レントゲンで骨端線を見ると背が伸びるかどうかわかるのですが、「君は骨端線が閉じてるから背はもうあまり伸びないね」とも言われて、ちょっとショックでした(笑)
――バスケットボールをプレーしていて楽しい瞬間はどんなときですか。
あまり背が高い方ではなかったので、ガードのポジションだったのですが、オフェンスリバウンドを取ったときなどは大きい人を出し抜いたぞという手ごたえがありましたね。ディフェンスをしているときに上手く止められた時などもそうですね。
慶應医学部のバスケ部は結構強くて、東医体で優勝したり準優勝したりしていたのですが、当時東海大がとても強くて、全国大会に出ていたようなメンバーが結構いました。東海大との試合は、本番も練習試合も楽しかったですね。相手が上手い方が、やりがいがあります。
――バスケをする中で、やはり怪我もされたのでしょうか。
捻挫は多くて、何回やったことか……中学の時は捻挫の延長で骨端線損傷になりました。骨が伸びる骨端線という所があるのですが、そこを痛めてしまい、修学旅行に松葉杖で行く羽目になって。富士山に登るはずだったのが、みんなが登っている横を自分はバスで行くことになってしまいましたね。
――病気や怪我の経験の中で、もっとも印象的だったものはありますか。
大学1年生の時、鼻骨と頬骨を骨折して、その2週間後に細菌性髄膜炎になったことです。
部活中に先輩の肘が当たり、鼻が90度に曲がってしまいました。病院に行って、当時は麻酔用の痛み止めを吸い込んだガーゼを鼻の中に8本ぐらい詰め込んだんです。まずそれがすごく痛い。次に鼻の軟骨部分をまっすぐにグッと直して、最後に鼻にフックの様なものをひっかけて、前に引っ張って高さを戻しました。「鼻の高さはこのぐらいでしたか?」と聞かれて、「いや、もう少し高かったような……」と言ったんですが(笑) 直してもらった後で鏡を見たら以前と変わらないぐらいで、もし言わないでいたら前より低くなっていたかもと思いました (笑)
――つい笑ってしまいましたが、骨折を元に戻すのはなかなか痛いですね……
おかげさまで鼻の骨折は良くなったんですが、2週間ぐらい経った頃に体調を崩しました。なんだか朝から調子が悪いんです。ロキソニンを飲んで学校に行ったんですが、授業中にもう頭が痛くて仕方なくなり、保健室で体温を計ったら、ロキソニンを飲んでいたにも関わらず熱が39度ほどありました。
その日の夜中に1時間に7回ぐらい吐いてしまって、病院に行くことになって。ルンバール(腰椎穿刺)による髄液検査をしました。神経の周りにある髄液を取るんですが、これが結構痛いんです。結局、細菌性髄膜炎でした。後になって、死亡率もそれなりにあるし、人によっては性格が変わってしまう事もあるらしい危ない病気だったと知りました。
3回目ぐらいの検査は研修医の方が担当されたのですが、その時に限って神経にあたって、足がビーン!と痺れて。当時は医学の知識がまだなかったので、「大丈夫だろうか、足が動かなくなったらどうしよう……」と不安に思いました。もちろん、そんなことはありませんでしたよ(笑)
抗生剤の治療が効いてくると症状は楽になりました。でも検査の必要があって退院はできないという状況だったので、すごく暇でしたね。
そんなわけで、大学1年生の春にいきなり1ヶ月学校を休んだのですが、復帰してから最初の練習でさっそく捻挫をして今度は松葉杖になりました。大学一年生の春のうちに災難を全部終わらせたのかもしれません(笑)
――当時の自分を振り返ってみて、思うことはありますか。
当時、自分なりに調べて、体が柔らかくなるかもとお酢を飲んでみたり、筋肉にいいかもと生卵を飲んでみたりと色々なことをしていましたが、正しい知識とは言い難いものもありました。いかに自分の体をいい状態にしておくかについて知識があったら、もっと違ったのではないかと思います。コーチやご両親からアドバイスを受ける場面も多いと思いますが、身近にいてアドバイスをくれる人みんなが専門家とも限りません。プロの人たちは環境が整っていますから専門家が近くにいますが、部活を頑張っている学生やセミプロ、スポーツ愛好家、そういった人たちのところに正しい情報が届いてほしいし、自分が力になれたらいいなと思います。
――ありがとうございました!